2011年11月30日
HP更新しました

2011年11月長野遠征レポUPしました。
携帯用HPよりご覧下さい。
ギャラリーページです。
↓
http://k.fc2.com/cgi-bin/hp.cgi/mobius-i/
きゃらめるまん\MOBIUS
2011年11月26日
長野 Estate遠征
2011年11月20日
シュトルモヴィーク-その2
1942年後半から、IL-2複座型が正式に生産されるようになりました。

このへんからソ連製戦闘機が高性能化し始め、ドイツ軍が燃料事情に苦しみだすため、
IL-2シュトルモヴィークは黒死病のあだ名に恥じぬ活躍を始めます。
ここでIL-2の基本武装について
23ミリ機関砲×2 (翼内)
7.62ミリ機関銃×2(翼内)
12.7ミリ重機関銃×1(後方防御用)
オプション武装として爆弾もしくは対地ロケットなどを400kgまで搭載します。
ただ、ドイツ軍の戦車キラー「シュトゥーカ」のような急降下でのピンポイント爆撃
はできないため、戦車を狙い撃つということは出来ませんでした。
ロケット弾は弾道特性が悪く、37ミリ大口径機関砲を搭載したタイプは強烈な反動
ゆえに減速や振動が大きく、少数生産に終わりました(それでも900機以上生産)。
クルスク戦では1.5kg~2.5kgの小型形成炸薬爆弾PTABを大量散布により戦車の上面装甲
を破壊する戦法がとられました。
最終的にIL-2は3万機以上が生産され、ソ連空軍の対地攻撃の主力を担い、失われた機数
は約1万機にも達しました。
ここからはIL-2の後継機について
1944年に、「装甲化されていて、空戦も可能な装甲戦闘攻撃機」とも言うべき機体
IL-10が開発されました。

対地攻撃機でありながら、空戦能力はLa-7に迫るものがあったとか。ただ、速度は
500km/h程で、この頃のレシプロ戦闘機が700km/h近いものなので、やはり限界はあった
というか。
対ドイツ戦末期に若干投入された程度で、戦果や損失はよくわかってません。
朝鮮戦争にも北朝鮮の戦力として投入されましたが、アメリカ軍機にかなり撃墜
されてます。
ビリー@mobius

このへんからソ連製戦闘機が高性能化し始め、ドイツ軍が燃料事情に苦しみだすため、
IL-2シュトルモヴィークは黒死病のあだ名に恥じぬ活躍を始めます。
ここでIL-2の基本武装について
23ミリ機関砲×2 (翼内)
7.62ミリ機関銃×2(翼内)
12.7ミリ重機関銃×1(後方防御用)
オプション武装として爆弾もしくは対地ロケットなどを400kgまで搭載します。
ただ、ドイツ軍の戦車キラー「シュトゥーカ」のような急降下でのピンポイント爆撃
はできないため、戦車を狙い撃つということは出来ませんでした。
ロケット弾は弾道特性が悪く、37ミリ大口径機関砲を搭載したタイプは強烈な反動
ゆえに減速や振動が大きく、少数生産に終わりました(それでも900機以上生産)。
クルスク戦では1.5kg~2.5kgの小型形成炸薬爆弾PTABを大量散布により戦車の上面装甲
を破壊する戦法がとられました。
最終的にIL-2は3万機以上が生産され、ソ連空軍の対地攻撃の主力を担い、失われた機数
は約1万機にも達しました。
ここからはIL-2の後継機について
1944年に、「装甲化されていて、空戦も可能な装甲戦闘攻撃機」とも言うべき機体
IL-10が開発されました。

対地攻撃機でありながら、空戦能力はLa-7に迫るものがあったとか。ただ、速度は
500km/h程で、この頃のレシプロ戦闘機が700km/h近いものなので、やはり限界はあった
というか。
対ドイツ戦末期に若干投入された程度で、戦果や損失はよくわかってません。
朝鮮戦争にも北朝鮮の戦力として投入されましたが、アメリカ軍機にかなり撃墜
されてます。
ビリー@mobius
2011年11月07日
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■2011年10月飲み会
■2011年10月昼戦
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2011年11月04日
シュトルモヴィーク-その1
ソビエトロシアでは、サバゲーがあなたを撃つ。
1930年代、ソ連のセルゲイ・イリューシンは「地上からの対空砲火に耐える装甲化された飛行機」
の必要性を提案し、スターリンの粛清を免れつつ、IL-2を設計しました。

初期型は後方銃座の無い一人乗りでした。
ドイツがソ連に侵攻した時、労働赤軍航空隊は、新型の戦闘機、攻撃機を十分に配備されてなく、
あっても少数、あるいは訓練中で、開戦数日で数千機を失いました。
部隊配備されていた少数のIL-2は果敢にもドイツ地上部隊に攻撃をかけますが、損害も甚大でした。
装甲化されているのはコクピット周りの主要部分のみで、胴体後部や翼は戦時の物資節約のために
強化木版でした。
それでも、37ミリ対空砲を受けて翼に大穴があいても帰還した機もあったそうです。
IL-2はソ連軍の主力攻撃機として大増産が開始されます。スターリンは生産工場に「赤軍はパンと
同じくらいにIL-2を必要としている」との電報を送ったそうです。

しかし、時速400キロ弱のIL-2が時速600キロのメッサーシュミットBf109に狙われたら
ひとたまりもなく、後方機銃を持たないため、自慢の装甲をもってしても、被害が続出。
現地部隊では、機関銃を後ろ向きに取り付けたり、余剰人員を機銃手として乗せる
などの苦肉の策を練ります。もっとすごいのになると、ロケット弾や迫撃砲を後ろ向きに
発射したんだとか。
じつはIL-2のプロトタイプは二人乗りでした。しかし、燃料の搭載量を稼ぎたいなどの理由で、銃手は
廃止になりました。
「作戦時には戦闘機隊が護衛につくから大丈夫だろう」という判断もありました。
しかし実際には、戦闘機の援護無しにIL-2が出撃することが多く、被害が増えてしまうのでした。
先述の通り胴体後部は装甲がないので、後方銃手の死傷率はパイロットの数倍という有様。

ビリー@mobius
1930年代、ソ連のセルゲイ・イリューシンは「地上からの対空砲火に耐える装甲化された飛行機」
の必要性を提案し、スターリンの粛清を免れつつ、IL-2を設計しました。

初期型は後方銃座の無い一人乗りでした。
ドイツがソ連に侵攻した時、労働赤軍航空隊は、新型の戦闘機、攻撃機を十分に配備されてなく、
あっても少数、あるいは訓練中で、開戦数日で数千機を失いました。
部隊配備されていた少数のIL-2は果敢にもドイツ地上部隊に攻撃をかけますが、損害も甚大でした。
装甲化されているのはコクピット周りの主要部分のみで、胴体後部や翼は戦時の物資節約のために
強化木版でした。
それでも、37ミリ対空砲を受けて翼に大穴があいても帰還した機もあったそうです。
IL-2はソ連軍の主力攻撃機として大増産が開始されます。スターリンは生産工場に「赤軍はパンと
同じくらいにIL-2を必要としている」との電報を送ったそうです。

しかし、時速400キロ弱のIL-2が時速600キロのメッサーシュミットBf109に狙われたら
ひとたまりもなく、後方機銃を持たないため、自慢の装甲をもってしても、被害が続出。
現地部隊では、機関銃を後ろ向きに取り付けたり、余剰人員を機銃手として乗せる
などの苦肉の策を練ります。もっとすごいのになると、ロケット弾や迫撃砲を後ろ向きに
発射したんだとか。
じつはIL-2のプロトタイプは二人乗りでした。しかし、燃料の搭載量を稼ぎたいなどの理由で、銃手は
廃止になりました。
「作戦時には戦闘機隊が護衛につくから大丈夫だろう」という判断もありました。
しかし実際には、戦闘機の援護無しにIL-2が出撃することが多く、被害が増えてしまうのでした。
先述の通り胴体後部は装甲がないので、後方銃手の死傷率はパイロットの数倍という有様。

ビリー@mobius
2011年11月01日
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■2011年9月Nミーティング
■2011年9月昼戦
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