2011年11月04日
シュトルモヴィーク-その1
ソビエトロシアでは、サバゲーがあなたを撃つ。
1930年代、ソ連のセルゲイ・イリューシンは「地上からの対空砲火に耐える装甲化された飛行機」
の必要性を提案し、スターリンの粛清を免れつつ、IL-2を設計しました。
初期型は後方銃座の無い一人乗りでした。
ドイツがソ連に侵攻した時、労働赤軍航空隊は、新型の戦闘機、攻撃機を十分に配備されてなく、
あっても少数、あるいは訓練中で、開戦数日で数千機を失いました。
部隊配備されていた少数のIL-2は果敢にもドイツ地上部隊に攻撃をかけますが、損害も甚大でした。
装甲化されているのはコクピット周りの主要部分のみで、胴体後部や翼は戦時の物資節約のために
強化木版でした。
それでも、37ミリ対空砲を受けて翼に大穴があいても帰還した機もあったそうです。
IL-2はソ連軍の主力攻撃機として大増産が開始されます。スターリンは生産工場に「赤軍はパンと
同じくらいにIL-2を必要としている」との電報を送ったそうです。
しかし、時速400キロ弱のIL-2が時速600キロのメッサーシュミットBf109に狙われたら
ひとたまりもなく、後方機銃を持たないため、自慢の装甲をもってしても、被害が続出。
現地部隊では、機関銃を後ろ向きに取り付けたり、余剰人員を機銃手として乗せる
などの苦肉の策を練ります。もっとすごいのになると、ロケット弾や迫撃砲を後ろ向きに
発射したんだとか。
じつはIL-2のプロトタイプは二人乗りでした。しかし、燃料の搭載量を稼ぎたいなどの理由で、銃手は
廃止になりました。
「作戦時には戦闘機隊が護衛につくから大丈夫だろう」という判断もありました。
しかし実際には、戦闘機の援護無しにIL-2が出撃することが多く、被害が増えてしまうのでした。
先述の通り胴体後部は装甲がないので、後方銃手の死傷率はパイロットの数倍という有様。
ビリー@mobius
1930年代、ソ連のセルゲイ・イリューシンは「地上からの対空砲火に耐える装甲化された飛行機」
の必要性を提案し、スターリンの粛清を免れつつ、IL-2を設計しました。
初期型は後方銃座の無い一人乗りでした。
ドイツがソ連に侵攻した時、労働赤軍航空隊は、新型の戦闘機、攻撃機を十分に配備されてなく、
あっても少数、あるいは訓練中で、開戦数日で数千機を失いました。
部隊配備されていた少数のIL-2は果敢にもドイツ地上部隊に攻撃をかけますが、損害も甚大でした。
装甲化されているのはコクピット周りの主要部分のみで、胴体後部や翼は戦時の物資節約のために
強化木版でした。
それでも、37ミリ対空砲を受けて翼に大穴があいても帰還した機もあったそうです。
IL-2はソ連軍の主力攻撃機として大増産が開始されます。スターリンは生産工場に「赤軍はパンと
同じくらいにIL-2を必要としている」との電報を送ったそうです。
しかし、時速400キロ弱のIL-2が時速600キロのメッサーシュミットBf109に狙われたら
ひとたまりもなく、後方機銃を持たないため、自慢の装甲をもってしても、被害が続出。
現地部隊では、機関銃を後ろ向きに取り付けたり、余剰人員を機銃手として乗せる
などの苦肉の策を練ります。もっとすごいのになると、ロケット弾や迫撃砲を後ろ向きに
発射したんだとか。
じつはIL-2のプロトタイプは二人乗りでした。しかし、燃料の搭載量を稼ぎたいなどの理由で、銃手は
廃止になりました。
「作戦時には戦闘機隊が護衛につくから大丈夫だろう」という判断もありました。
しかし実際には、戦闘機の援護無しにIL-2が出撃することが多く、被害が増えてしまうのでした。
先述の通り胴体後部は装甲がないので、後方銃手の死傷率はパイロットの数倍という有様。
ビリー@mobius