2011年12月19日
シュトルモヴィーク_その3
第二次大戦終結後も、イリューシン設計局では将来の機甲戦に向けた
装甲化対地攻撃機の開発を続けました。
IL-10の後継機を目指して試作されたIL-20
不格好と思うなかれ。エンジンの真上にコックピットがあるため
前方および下方視界を良好に確保し、緩やかに効果しつつ敵地上部隊に
攻撃を仕掛けるという戦法に特化しているのです。
写真だとわかりづらいですが後部銃手席もあります。
とにかくイリューシン設計局はこの後方防御用機銃になみなみならぬ
こだわりを後々まで見せてくれます。
しかし、この2階建てスタイルのせいで、空気抵抗が増大し最高速度がIL-10より
遅く、整備がしづらいなどの理由で量産はされませんでした。
そして時はジェットの時代へ
今度はジェット機の装甲化対地攻撃機の開発を始めます。
IL-40 NATOコードはブラウニー
やっぱり後方防御機銃を搭載。
機首先端に機関砲を搭載していますが、射撃時の排煙がエンジンのインテークに流れ込んで、
エンジンが停止するトラブルが発生。
そこで・・・
インテークを機首先端まで延長。カバみたいでかわいいですね。
しかしここで突然、ソ連の偉い人たちが
「対地攻撃はジェット戦闘機の爆装でこと足りる」
との判断で計画はすべて中止命令が出されてしまいました。
スホーイSu-7(NATOコード フィッター) 戦闘爆撃機
対地攻撃以外にも偵察型などさまざまなバリエーションが作られました。
ミグMig-27(NATOコード フロッガー) 可変翼戦闘機Mig-23の改良型
スホーイSu-24(NATOコード フェンサー) アメリカ軍のF-111を真似て作った戦闘爆撃機
そうこうしているうちにアメリカ軍はA-10サンダーボルトⅡを開発
アスラン空軍 第24戦隊
革命の父 グレッグ大尉に敬礼!!
「装甲で守られた対地攻撃機」のお株をソ連から完全に奪いさったこの機体。
しかも開発にあたって、大戦中にソ連軍車両、火砲その他もろもろをコテンパンに
破壊しつくした、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルの著書を参考にしたとか。
そんなこんなで、ソ連でもA-10みたいなの作ろうということになり、
イリューシン設計局は威信をかけIL-102を開発します。
偉い人「単座で亜音速の対地攻撃機作って」
イリューシン設計局「いや、後方防御火器は必要だ。二人乗りのIL-102でコンペに挑むぜ」
偉い人「要求と違うじゃん」
スホーイ設計局「単座の対地攻撃機です」
Su-25 (NATOコード フロッグフット)
偉い人「うむ、コンパクトで良い機体だ。採用」
イリューシン設計局 「あのー」
偉い人「うっせーな。勝手にこんなもの作りやがって。あっちいけ」
その後、航空ショーにIL-102は一度だけ展示され(事前予告が無かったため、航空機マニアの間では
一時的に話題になったとか)海外に売り込みをはかるも注文はありませんでした。
こうして、イリューシン設計局の対地攻撃機開発は幕をおろしたのでした。
ビリー@mobius
装甲化対地攻撃機の開発を続けました。
IL-10の後継機を目指して試作されたIL-20
不格好と思うなかれ。エンジンの真上にコックピットがあるため
前方および下方視界を良好に確保し、緩やかに効果しつつ敵地上部隊に
攻撃を仕掛けるという戦法に特化しているのです。
写真だとわかりづらいですが後部銃手席もあります。
とにかくイリューシン設計局はこの後方防御用機銃になみなみならぬ
こだわりを後々まで見せてくれます。
しかし、この2階建てスタイルのせいで、空気抵抗が増大し最高速度がIL-10より
遅く、整備がしづらいなどの理由で量産はされませんでした。
そして時はジェットの時代へ
今度はジェット機の装甲化対地攻撃機の開発を始めます。
IL-40 NATOコードはブラウニー
やっぱり後方防御機銃を搭載。
機首先端に機関砲を搭載していますが、射撃時の排煙がエンジンのインテークに流れ込んで、
エンジンが停止するトラブルが発生。
そこで・・・
インテークを機首先端まで延長。カバみたいでかわいいですね。
しかしここで突然、ソ連の偉い人たちが
「対地攻撃はジェット戦闘機の爆装でこと足りる」
との判断で計画はすべて中止命令が出されてしまいました。
スホーイSu-7(NATOコード フィッター) 戦闘爆撃機
対地攻撃以外にも偵察型などさまざまなバリエーションが作られました。
ミグMig-27(NATOコード フロッガー) 可変翼戦闘機Mig-23の改良型
スホーイSu-24(NATOコード フェンサー) アメリカ軍のF-111を真似て作った戦闘爆撃機
そうこうしているうちにアメリカ軍はA-10サンダーボルトⅡを開発
アスラン空軍 第24戦隊
革命の父 グレッグ大尉に敬礼!!
「装甲で守られた対地攻撃機」のお株をソ連から完全に奪いさったこの機体。
しかも開発にあたって、大戦中にソ連軍車両、火砲その他もろもろをコテンパンに
破壊しつくした、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルの著書を参考にしたとか。
そんなこんなで、ソ連でもA-10みたいなの作ろうということになり、
イリューシン設計局は威信をかけIL-102を開発します。
偉い人「単座で亜音速の対地攻撃機作って」
イリューシン設計局「いや、後方防御火器は必要だ。二人乗りのIL-102でコンペに挑むぜ」
偉い人「要求と違うじゃん」
スホーイ設計局「単座の対地攻撃機です」
Su-25 (NATOコード フロッグフット)
偉い人「うむ、コンパクトで良い機体だ。採用」
イリューシン設計局 「あのー」
偉い人「うっせーな。勝手にこんなもの作りやがって。あっちいけ」
その後、航空ショーにIL-102は一度だけ展示され(事前予告が無かったため、航空機マニアの間では
一時的に話題になったとか)海外に売り込みをはかるも注文はありませんでした。
こうして、イリューシン設計局の対地攻撃機開発は幕をおろしたのでした。
ビリー@mobius